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La Maison de Teddy Bears 
「テディベアの家」管理人のMです。東京で会社員をしています。出身は山口県。趣味は温泉、旅行、料理、語学です。
ある日偶然ネット上でシュタイフのテディベアを発見したのがきっかけとなり、テディベアのファンになりました。最初に購入したのは、トラベリング・ベアというヨーロッパ限定のベアです。スーツケースとカメラを持った、青い目が素敵なベアです。
当サイトでは、今まで購入したベア、写真で見た可愛いベア等、私が出会ったベア達をご紹介します。私にとっての「テディベアのアルバム」でもあります。
私もいつかシュタイフ誕生の地、ドイツに旅行に行きたいなあ、と思う今日この頃です。

スーツケースの写真

新しいベア

新しいベアを追加しました!

ホワイトディッキー 1930年 レプリカ
1992年に発売された、1930年製のオリジナルのビンテージ・ディッキーの忠実なレプリカ。7,000体限定です。

詳細はこちらをご覧ください。

シュタイフ ホワイトディッキー

全てのコレクションをご覧になりたい方はこちらのページへどうそ!

新着情報

new 2013.4.22
ブログ更新しました。
“目黒のテディベアショップ  Dear Bear”
        2013.3.23
新しいベア「ホワイトディッキー 1930年 レプリカ」を追加しました!
        2013.3.22
ブログ更新しました。
“伊香保  おもちゃと人形  自動車博物館”
        2013.3.16
ブログ更新しました。
“俳優の津川雅彦さんが経営するおもちゃ屋さん「グランパパ」”
        2013.3.6
ブログ開始しました。
        2013.3.5
新しいベア「モンマルトルの画家」を追加しました!
        2013.3.5
新しいベア「トラベリング・ベア」を追加しました!
        2013.3.5
ウェブページを開設しました。今後随時更新予定ですので、遊びに来てくださいね。

 

 

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テディベアについて

ぬいぐるみとテディベアの違い

もともとはテディベアもぬいぐるみの一部と言えますが、テディベアと呼ばれるほとんどのものは、
●首、手・足をジョイントや糸でつなぎ合わせており、可動する
●使用している材料がモヘヤなどの高級素材
●ハンドメイド
という3つの条件を満たしていることが多いです。

ぬいぐるみの方は
●首・手・足を縫いつけてしまっている
●使用している布が高級素材ではない
●量産品
であることが多いです。

つまり、テディベアの方がお値段も高くなるし、高級感があるんですね。ハンドメイドなので、一体一体微妙に表情が違い、オリジナリティが強いとも言えます。

テディベアの名前の由来

テディベア(Teddy Bear)の「テディ」は、男性の名前「セオドア」の愛称からきており、名前の由来になったのは、アメリカの第26代大統領のセオドア・ルーズベルトです。

テディベア誕生秘話

テディベアは2002年に生誕100年を迎えました。つまり誕生したのは1902年。
その誕生には二つの物語が絡み合っています。

時は1902年、場所はドイツ。ドイツ南部に、ギーンゲンという人口およそ2万人足らずの小さな町がありました。この町外れに1880年にマルガレーテ・シュタイフにより設立されたおもちゃメーカー「Steiff (シュタイフ)」がありました。当初ゾウやウマ、ラクダなどフェルト製の動物のおもちゃを製造していましたが、1902年、マルガレーテの甥であるリヒャルトがクマのぬいぐるみを作るというアイディアを思いつきました。彼が完成させた試作品のクマは、本物に見えるようにフカフカのモヘヤをふんだんに用い、手足および首が自由に動くという、当時としては画期的なぬいぐるみでした。このぬいぐるみは製造過程が複雑で、材料費が高いため、マルガレーテは生産を押し進めるかどうか思い悩みました。しかし熟慮の末、「輝く将来を持つ子どもたちにこそ、最高のものを与えてあげたい。」という彼女の信念が、生産に踏み切る決め手となったのです。
このベアは翌年の1903年に見本市に出品されたのですが、評判はあまりよくありませんでした。ただ、見本市最終日にやってきたアメリカのバイヤーがこのベアをとても気に入り、「ヨーロッパでは不評かもしれないが、アメリカの子どもたちにはきっと気に入ってもらえる。」ということで、3,000体も大量発注して帰っていきました。

時は1902年の秋、場所はアメリカ。第26代大統領セオドア・ルーズベルトは米国南部のミシシッピ州に来ていました。ハンティング好きで知られる大統領のためにクマ狩りが開催されましたが、その日大統領は一頭も仕留めることができませんでした。そこで大統領の面目を潰さぬようにと、同行していたハンターが年老いたクマ(一説には傷を負った子グマ)を追いつめ、最後の一発を大統領に頼んだところ、ルーズベルト大統領は「瀕死のクマを撃つのはスポーツマン精神にもとる」として撃ちませんでした。そして翌日には、このシーンを風刺漫画に仕立てたものがワシントンポスト紙に掲載され、話題になりました。
この漫画を見たのは、ニューヨークで小さな駄菓子屋を営むミットム夫妻でした。彼らは柔らかい布でクマのぬいぐるみを作り、それに大統領のニックネーム「テディ」から、「テディベア」と名付け、ワシントンポスト紙の漫画とともにウインドウに飾ったところ、これがたちまち大評判になりました。
テディベアの成功をきっかけに、ロシアからの貧しい移民であった夫妻は、後にぬいぐるみを始めとするおもちゃのメーカー、アイディール社を設立しました。

ちょうどその頃、アメリカに輸入されたシュタイフ社のクマのぬいぐるみが急速に広まり、「テディベア」のネーミングも急速に広まりました。

当時は国を越えての伝達手段があまりなかったこともあり、ドイツとアメリカで、同時期に、お互いに知らないまま、「テディベア」の原型を生み出していたのです。
そして二つの物語が絡み合って、人々に愛され続ける「テディベア」が誕生したのです。

なお、セオドア・ルーズベルト元大統領の誕生日である10月27日は「テディベアの日」になっています。

 

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